この記事では、小柳ルミ子が濡れ場を演じた映画を紹介します。
小柳ルミ子と言えば、女優より歌手としてのイメージが強いですよね。今まで紅白歌合戦に何度も出場している大物歌手です。
そんな小柳ルミ子ですが、過去に1度だけ濡れ場シーンを演じています。彼女の美しい体付きやはかない表情に興奮すること間違いありません。
前置きはこのくらいにして、小柳ルミ子の濡れ場シーンのある映画を紹介します。
小柳ルミ子の「濡れ場シーン」がエロい映画1選
小柳ルミ子の「濡れ場シーン」がある作品は、次の通り。
- 映画1:白蛇抄
映画のあらすじと濡れ場シーンを解説します。(※ネタバレ内容を含んでいます。)
映画1:白蛇抄
©1983「白蛇抄」製作委員会より
この映画は、小説家である水上勉の同名小説を実写映画化したものです。ある女性が人間の欲望に翻弄される悲劇を描いたアダルトヒューマン物語です。
作品は、若狭の山寺が舞台となっています。人生の絶望の淵にいた石立ウタ(小柳ルミ子)は、寺の住職に助けられ、そのまま内縁の妻となります。しかし、ウタの妖艶な魅力に惹かれた住職の息子は義母に恋をし、歪な三角関係が始まります。
個人的な感想としては、小柳ルミ子の演技力に圧倒されました。違和感のない関西弁や、濡れ場シーンの体当たり演技は見事でしたね。正直ストーリー内容はツッコミどころ満載で、いまいち面白みに欠けますが、小柳ルミ子の濡れ場や演技を目的にしているのであれば、十分楽しめる作品かと思います。
濡れ場シーン
©1983「白蛇抄」製作委員会より
ウタと懐海(若山富三郎)がセックスするシーンです。体が不自由な懐海ですが、うたの魅力に性欲が抑えきれず、必死でアソコや胸を舐め回します。
©1983「白蛇抄」製作委員会より
ウタと昌夫(杉本哲太)がセックスするシーンです。ウタは騎乗位となり何度も激しく腰をふり続け、義母と息子の禁断の愛を確かめ合います。
©1983「白蛇抄」製作委員会より
亡くなった本当の息子を思い出すシーンです。乳を出しながら「坊や、坊や」とつぶやき、いないはずの息子を探します。
小柳ルミ子の経歴と濡れ場の出演を決めたきっかけ
小柳ルミ子のデビューから現在までの経歴と、濡れ場シーンへの出演を決めたきっかけをまとめました。
経歴をプレイバック
1967〜1970年:宝塚音楽学校へ所属
小柳ルミ子は中学卒業後、宝塚音楽学校に入学。彼女にとって、宝塚音楽学校は歌手になるためのきっかけに過ぎませんでした。
早く歌手になりたかった彼女は、「渡辺プロダクション」に所属したいがために懇願します。そこで「宝塚を首席で卒業したら歌手にしてあげる」と言われ、言われた通り宝塚音楽学校を首席で卒業します。
1971年:歌手として大ブレイク
宝塚歌劇団を退団して1年後、念願の歌手デビューを果たします。宝塚音楽学校を首席で卒業するほど実力のあった彼女は、デビューシングル「わたしの城下町」で、すぐに大ブレイク。その後も、数々のヒット曲を連発し、歌手として順調なスタートダッシュを切りました。
1982年:女優としても本格的に活動を始める
歌手デビュー前から、世間に顔を広めるために女優業もしていた小柳ルミ子は、1982年より女優活動を本格的に始めます。
歌手だけでなく、女優業でも才能を開花させた彼女は、映画「誘拐報道」や映画「白蛇抄」で、数々の賞を受賞します。
2022年(現在):コロナで仕事激減も歌手活動は継続
どの芸能人にも言えることですが、コロナの影響で仕事が激減しているようです。一時は年齢やメディアの需要を考え、芸能界引退も考えたようですが、現在も音楽番組を中心に活動をされています。
濡れ場の出演を決めたきっかけ
小柳ルミ子が、映画「白蛇抄」で濡れ場シーンに挑戦しています。彼女は清純派として歌手をしていたため、この映画の出演に周囲は大反対したそうです。しかし彼女は、事務所の反対を押し切って一人で出演を決めました。
そのきっかけについて、メディアの取材で以下のように答えています。
「オファーを頂いたとき『これで変われる!』と確信した。自分の判断を信じて突き進んで良かったと、心の底から思いますね」
歌手だけで止まりたくなかったと語る小柳ルミ子。結果的に映画は大ヒットし、彼女はこの映画で演技力が評価され、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞しています。
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